和歌山県すさみ町&上富田町 2025年12月6日(土) 〜7日(日) 1泊2日【48,000円】
近熊野古道・健脚食熱の旅
―歩いて美味しい紀南の食文化と蒸留所を訪問―
まだ歩く人が少ない熊野古道大辺地街道ルート。世界遺産「長井坂」をゆったりと走破する歩きと豪華な伊勢海老やイノブタ鍋コース、熊野が誇るウイスキーと地ビールの醸造所めぐりを楽しむコースです。紀州くちくまの熱中小学校が企画しました。
窯で炊いたお米と山の幸でお弁当を自作し、熊野古道から海を眺めながら4キロ半の街道を2時間半かけて歩いて途中で昼食。夜は伊勢海老の鍋料理と、すさみ町が発祥の地である、イノブタ(イノシシと豚の掛け合わせ種)、レタス(栽培発祥地)の鍋の食べ合わせになります。
2日目は熊野が生んだウイスキーと地ビールの醸造所を訪問して昼食。白浜の「とれとれ市場」経由第2便に乗れるように南紀白浜空港13時解散になります。
■日 程:2025年12月6日(土)~7日(日)
(6日のウォークは雨の場合は熊野本宮大社参拝になります。)
■最小催行人数:5名
■引率者:7-10人 (熊古道ガイドの資格を持つ「紀州くちくまの熱中小学校」の生徒たち:事前に歩く活動をしていてコースを熟知して皆様をお待ちしています)
世界遺産・長井坂(4.5KM、徒歩約2.5時間)の入り口までは車でお送りします
大辺路街道は、熊野古道でもあまり歩く人は少ない海沿いの道です。海を見下ろす屈指の景観と往時の佇まいを残す「長井坂」は登り口、下り口は急な勾配の坂ですが、峠道は枯木灘の眺めもよく、平坦な区間が長く続きます。備長炭の材料になるウバメガシ等海岸性常緑樹が覆う山の斜面の南側には広大な太平洋が開け、道沿いにはそのままの自然林が残され心地よいハイキングがお楽しみいただけることでしょう。
◆集合場所 12月6日(土)9時15分南紀白浜空港ロビー
JAL213便羽田7時35分発南紀白浜8時50分南紀白浜空港着
(列車や車で到着される方は個別に駅等でピックアップいたします)
◆解散場所 12月7日(日)13時南紀白浜空港ロビー
【食事回数】
朝食1回、昼食2回、夕食1回全て込み。蒸留所での試飲が含まれます。
(但し、一部飲料代は自己負担)
行程。
12月6日(土)
9:15 :南紀白浜空港集合 JAL213便羽田7時35分発南紀白浜8時50分南紀白浜空港着
すさみ線香水車復活プロジェクト見学 https://www.youtube.com/watch?v=Lmaw1VZu-Z8
「紀州くちくまの熱中小学校」の生徒たちが支援するプロジェクトです。
隣接する「仏坂 和三郎茶屋」に移動 窯で炊いたご飯で自分の弁当を作ります。
12:00「長井坂」入り口まで車で移動 熊野古道散策出発 途中で弁当昼食
17:00:<夕食>
20:00:上富田町のホテルに送迎・宿泊
12月7日(日)
ホテルで朝食
8:30:ホテルのロビー集合
熊野に生まれた「紀州熊野蒸溜所見学。エンブレムである3本足の八咫烏は神の使い烏として崇められております。ジン、ウイスキーは欧州向けの輸出がメインで、国内ではなかなか飲めない逸品です。https://kishukumano-distillery.com/
ボイジャービールは田辺市に紀州くちくまの熱中小学校の生徒でもある真鍋さんが起業。
醸造所で6つのブランドの飲み比べとランチを楽しみます。(ノンアルコール飲料も準備します)https://voyagerbrewing.co.jp/
白浜町の「とれとれ市場」で新鮮な魚や果物を選びながら南紀白浜空港または白浜駅
で解散となります。
空路は 13時50分発JAL214便14時55分羽田着です。
【持ち物や服装について】
1日目:動きやすく、汚れてもいい服装と運動靴、または登山靴でお願いします。
リュック、サブザックで両手が自由になる事、ジャケットなど温かい服装、汗をかいたときの下着の用意をお願いします。小雨程度は決行する事がありますので雨具の用意もお願いします。
注意事項
・現地までの交通(飛行機・電車)は各自で手配をお願いします
お申込み
【お申込みフォーム】はこちら https://forms.gle/NRKJQnXbL4FDXxAp8

【申し込み期限】
11月26日(水)
【定員および最少催行人数】
催行人数5名、最大8名
【支払い方法】
請求書送付後振り込み
キャンセルポリシー
7日前:旅行代金の30%
前日:旅行代金の40%
当日出発前:旅行代金の50%
当日出発後または無断キャンセル:旅行代金の100%
【大辺地ルート】いくつかのルートがある熊野古道のうち、多くの旅人が歩いたのは、京都から大阪・和歌山を経て田辺に至る紀伊路、そして田辺から山中に分け入り熊野本宮に向かう「中辺路(なかへち)」です。
特に平安時代から鎌倉時代に皇族貴族が延べ100回以上も繰り返した「熊野御幸」では、中辺路が公式参詣道(御幸道)となり、後鳥羽院や藤原定家、和泉式部も歩いたとされています。
